| 【子育てグッズ研究会】表紙 |
ソウルの風に吹かれて 担当:ソウル在住 藤原典子
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11月19日、長男の誕生日にソウルは1センチの初雪を観測した。1週間ほど前迄は、Tシャツ1枚に軽いジャケットで歩いていた。ある朝外へ出てみると、空気が顔に突き刺さるような寒さの冬だった。成田から2時間30分、一番近い外国ソウルに来て早や4ヶ月、同じ東洋でありながら毎日の生活を通してやはり文化の違いを感じずにはいられない。
韓国と言えば、カルビにキムチ。こちらに来て初めて食べたカルビのおいしさ! 5才の長男もまるで何も食べさせていない子どものように夢中で食べている。確かに日本ではお高い牛肉はあまり口にできなかったけど…… それにもまして嬉しかったのは、カルビしか頼んでいないのにキムチやナムル(野菜の韓国風和え物)などの副菜が何種類も出てきて、食卓の上がたちまちいっぱいになってしまったことだ。 さらに、そのひとつひとつがとてもおいしい。なんというサービスのよさ、なんという安さ、そしてなんというおいしさ!あぁ、赴任先が韓国でよかった、こんなにおいしいものがあるところなら何とかやっていけそう…… 食いしん坊で楽天家のわたしは、とりあえず胸をなでおろしながら満腹感に浸っていた。 食事の最後に出されるシッケ(甘い飲み物)を飲みながら、ふと隣を見るとおいしそうにキムチを食べている韓国人がいる。さすがにこちらの人はキムチの食べっぷりが違う、あんなに続けて辛いものばかりは食べられないよなぁ…… でもちょっと待って、なんだかずいぶんお下品な食べ方じゃない? 取り皿もなく、左の肘をついてお皿もご飯の器も食卓に置いたまま、スープの器さえ持たずにスッカラク(韓国のプーン)で口元へ運んでいる。おまけにあんなに綺麗なお姉さんが、片膝立てて座っている。これじぁあまるで、仁侠映画でサイコロふってるあねさんではないか。 お箸は右手、左手にはお茶碗を持って、みんなで食べるお皿のものは一度自分のお皿に取り分けて、きちんと座って食べなさい…… どこの家庭でも当然のように教えられてきた、私も少しずつではあるが子どもにそういってきた「躾」がここでは全然違っている。こんなところで暮らしていてはとっても行儀悪くなってしまう、大人はともかくこれから行儀を教える時期にかかっている子どもには悪影響があるのでは…… さっきの安堵感に影をさすような、ちょっとした戸惑いが私の脳裏をかすった。 韓国の食卓では、スッカラク(スプーン)とチョッカラク(お箸)でごちそうをいただく。主に使うのはスッカラクで、スープはもちろんマンドゥ(韓国風蒸し餃子)などのおかずもスッカラクで一口大に切ってスッカラクで薬味をつけ、スッカラクで口元へ運ぶ。 ご飯も器は食卓に置いたままスッカラクでいただく。チョッカラクはその他の汁気のないおかずをつまむ時ぐらいしか使わない。スッカラクを使うことが基本で、ほとんどスッカラクで済ませてしまうことも多いようだ。 また、男性はあぐら、女性は片膝を立てて座ることが正座であるそうだ。昔ながらのお膳は日本のものより高めで、そのため器と口元の距離が近いので、器を持ち上げなくてもスッカラクだけで汁をこぼす心配がない。さらに、韓国の食卓には取り皿がない。 カルビは、自分の好きな薬味を付け好きなはっばに巻いて食べる。キムチやナムルは、盛り皿から直箸で直接口に運ぶ。一緒に食卓を囲む仲、何をそんな水臭いということなのだろう。日本と同じように箸を使いお米が主食の食文化でありながら、食べ方はこんなにも違うのである。 しかし、生来の不精ものの私には、慣れてみるとこの食べ方はとっても楽チンである。取り皿がない分、洗い物が少ない。「ちゃんと左手でお茶碗持ちなさい。」なんて怒ることもない。 「郷に入れば郷に従え、ここは韓国、まっいっかぁ。」とすっかり躾を放棄してしまっていた。そんな時、韓国人の夫の知り合いと食事をすることになった。 私はいつものように、キムチを盛り皿から直接口に運び、カルビやプルコギ(梨を使った甘いたれにつけこんだ焼き肉、焼き汁をご飯にかけて食べるのが韓国流)を葉っぱに巻いて大口を開けて食べていた。「すっかり韓国になじんだ自分」を韓国の知り合いに自慢気に見せたい気持ちも手伝って、私は大好物のケジャン(渡り蟹の辛味漬け)にもむしゃぶりついていた。 そんな私に、彼は微笑みながら言った。「ケジャンおいしいですか。でも、これはどうやって食べればヨイカナァ。」え、これってこうやってむしゃぶりつくものじゃないの?…… 彼はしばらく悩んだ後、チョッカラクで丁寧に小さな渡り蟹の身を取り出して食べだした。なんという上品さ、なんという行儀よさ。何気に見ていると、彼は汁が垂れそうなものはちゃんと手で受けながら食べている。 私から物を受け取るときは、必ず左手を添える。以前からきちんとしたご家庭に育った方らしいとは聞いていたが、その品のある身のこなしや人に対する接し方に、彼の品格を感じ敬意を表すると同時に、彼の御両親はもちろん、彼の育った環境のすばらしさに思いを馳せてしまった。 「躾」とはなんだろう。「お行儀」とはなんだろう。左手にお茶碗を持って肘をつかずに食べることだけがお行儀良くて、取り皿も使わずに左肘をついて直箸で食べることはお行儀悪いことだろうか。 日本のお膳はたまたま低かったために、お茶碗で受けなければ食べにくかっただけであり、韓国のお膳はもう少し高かったために器を持ち上げる必要がなかったのだろう。 いずれにせよ食べる人が一番食べやすく、一緒に食べている人に不快感を与えることなく食事を共にする喜びや楽しさを味わえることが何よりも重要であるはずで、形式ばって器が云々という必要は必ずしもないように思う。それでもやはり、私は子供たちに「左手でちゃんとお茶碗をもちなさい」と言いつづけるつもりである。 それは、食べやすく合理的に美しく食べるためのマニュアルの一つであり、マニュアルを教えることで合理的に美しく食べることの本質を学ばせたいからである。さらに、自分自身を律することを学ぶことで、品格を身につけてもらいたいと思うからである。「身が美しい」躾とは、こういうことなのではないだろうか。 「お茶碗もって、ちゃんと前を向いて食べなさい」「みんなで食べるものは直接食べないで」…… 怒ってばかりじぁ食事の喜びなんて伝わらないなぁ、でも言うべき事は言わなくちゃいけないし…… 今日もジレンマに陥りながら、楽しいはずの食事の時間が過ぎていく。理想と現実のキャップを感じつつ、私と子供たちのソウルでの日々はゆっくりと確実に過ぎていくのである。 (ソウル在住 藤原典子) |